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東京高等裁判所 平成2年(う)43号 判決

本籍

東京都新宿区坂町一〇番地

住居

同都目黒区中目黒一丁目一番二六-二二一号 秀和レジデンス

会社役員

楢林丘至

昭和一四年四月一五日生

右の者に対する法人税法違反被告事件について、平成元年一一月三〇日東京地方裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から控訴の申立があったので、当裁判所は、検察官山崎基宏出席の上審理し、次のとおり判決する。

主文

原判決中、被告人に関する部分を破棄する。

被告人を懲役一年八月に処する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人渡部喜十郎、同稲見友之、同奥野善彦、同小野正典、同山中尚邦連名及び弁護人渡部喜十郎、同塩川治郎連名の各控訴趣意書に、これに対する答弁は検察官山崎基宏名義の答弁書に、それぞれ記載されたとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、量刑不当の主張であるが、その理由の有無を判断するに先立ち、職権をもって原判決の事実認定の当否を調査する。

原判決は、罪となるべき事実の第二として、原審相被告人ニッセイ通商株式会社(以下「ニッセイ通商」という。)の代表取締役である被告人が、原審相被告人楢林堯典(以下「堯典」という。)と共謀の上、同社の業務に関し法人税を免れようと企て、売上の一部除外、架空仕入の計上、支払手数料の水増計上などの方法で所得を秘匿した上、同社の昭和六一年五月期の実際所得金額が九億四八五五万八九〇三円で、課税土地譲渡利益金額が九億二七一一万一〇〇〇円であったのに、所得金額が一億〇五二三万四一八四円で、課税土地譲渡利益金額が七三九八万二〇〇〇円であり、これに対する法人税額が五八三三万八九〇〇円である旨虚偽の申告書を提出し、不正の行為により、五億三五七八万五一〇〇円を免れた旨認定しているところ、右実際所得金額及び逋脱所得金額認定の前提となっている東京都台東区上野五丁目所在の土地(以下「上野物件」という。)の取引に関する支払手数料合計五〇〇〇万円の水増計上は、堯典が被告人に隠れて単独で実行したものであって、被告人がこれを堯典と共謀したものとは認められない。すなわち、

右上野物件の取引に関して、〈1〉堯典は、検察官に対する平成元年六月五日付供述調書中で、取引の実質的仲介者である堀義雄と相談の上、株式会社丸洋興発に宛てて購入時に六七〇〇万円、売上時に七五〇〇万円の仲介手数料を支払い、この中から仕入時に二〇〇〇万円、売上時に三〇〇〇万円をニッセイ通商に戻して貰ったが、このことは被告人には内緒であり、戻った合計五〇〇〇万円の金員は、ニッセイ通商の事業を推進する際に自分一人の判断で投入できる裏金として使用するつもりで割引債券を購入して同社のために保管しておいた、旨供述し、一方、〈2〉被告人も、検察官に対する同年六月九日付供述調書中で、上野物件の取引で株式会社丸洋興発宛に支払われた合計一億四二〇〇万円の仲介手数料は、総て正規のものと思っていた、堯典がこの仲介手数料の中から合計五〇〇〇万円を戻して貰って裏金として保管していたことは、今回国税局の強制調査を受けた昭和六一年一〇月二七日に同人から聞かされて初めて知った、旨供述していて、両名の供述内容は符合している上、両名は、原審公判廷でも同趣旨の供述を行っているのである。

したがって、これらの供述によれば、右五〇〇〇万円の水増計上は、堯典がニッセイ通商の業務に関し、単独で行ったものであって(それ故、同社の逋脱税額に変動はない。)、被告人は、この点の申告が同社の所得をことさら過少に記載した内容虚偽のものであることの認識を欠き、その共謀に関与していないこととなる。そして、堯典が被告人に内密で裏金を蓄積した理由として述べるところ、すなわち、当時ニッセイ通商の常務取締役兼企画室長(後に事業本部長)として同社の事業計画を立案、推進する立場にあった同人は、事業用地として買収の対象としている土地の一部しか買える見込みがない場合であっても、将来周辺の土地が買えずに手付け流れとなる危険を冒して手付け金を打って置かないと、いざというときに手遅れとなるという考えを持っていたが、病気をして以来安全性を重視するようになった被告人に相談すると反対されることが多かったので、事業の拡大を図るためには、被告人に内密で危険性のある先行投資に充てる資金を確保する必要があったという点(堯典の検察官に対する平成元年六月一日付供述調書)は、十分首肯するに足り、両名の前記供述の信用性を裏付けるものというべきである。その他、記録を調査しても、右支払手数料五〇〇〇万円の水増計上が両名の共謀によることを認めるに足りる証拠は見当たらない(被告人及び堯典は、いずれも、原審第一回公判期日において、公訴事実はそのとおり間違いない旨の供述をしているが、各勘定科目を明示した修正損益計算書も提示されていない冒頭手続段階でそのような概括的な認否がなされているからといって、本文に援用した両名の具体的供述内容を覆すに由ないものというほかない。また、被告人が、検察官に対する供述調書中で、自分の知らない堯典の行為についても責任を負う趣旨の供述をしている点は、所得秘匿工作の存在自体についての認識すら欠けているような場合には、法律的には全く無意味であって何らの証拠となるものでもない。)。

してみれば、右五〇〇〇万円の水増計上についても両名の共謀を認めた原判決は、この点おいて事実を誤認したものというべく、右誤認が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、到底破棄を免れない。

(ちなみに、関係証拠によれば、堯典は、同社が東京都新宿区高田馬場三丁目所在の土地を転売するに際し、買主との間にダミー会社を介在させることにより除外した売上五億一一四七万円のうち一億四三二七万円についても、前同様の理由で被告人には内密に先行投資用の資金として保管していたことが窺われるが、右物件に関するダミー会社を利用した所得秘匿工作は、被告人がこれを決定し、堯典らに指示して実行させたものであり、その結果多額の売上除外に成功した旨の報告を受け、これを了承していたことが認められるから、その数額の認識に誤りがあったとしても、被告人は、除外した全額につき共同正犯としての刑責を免れない。)

よって、量刑不当の論旨につき、判断するまでもなく、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決中被告人に関する部分を破棄し、同法四〇〇条但書に従い被告事件につき更に次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

原判示第二の五行目の実際所得金額「九億四八五五万八九〇三円」を「八億九八五五万八九〇三円」に、七行目の課税土地譲渡利益金額「九億二七一一万一〇〇〇円」を「八億七七一一万一〇〇〇円」に、一四行目の正規の法人税額「五億九四一二万四〇〇〇円」を「五億六二四七万四〇〇〇円」に、一五行目の申告税額との差額「五億三五七八万五一〇〇円」を「五億〇四一三万五一〇〇円」に、別紙3修正損益計算書を別紙(1)修正損益計算書に、別紙4税額計算書を別紙(2)脱税額計算書に、それぞれ改めるほか、被告人に関する原判示各事実と同一であるから、これを引用する。

(証拠の標目)

原判決挙示の証拠の標目と同一であるから、これを引用する。

(法令の適用)

原判決摘示の法令の適用と同一であるから、これを引用する。

(量刑の理由)

被告人の関与にかかるニッセイ通商の法人税逋脱額は、合計五億八三七四万二六〇〇円に達し、極めて巨額であり、二事業年度を通じた逋脱率も約八九パーセントと高率である上、被告人は、ニッセイ通商の運転資金を確保し、経営の安定を計ろうとの考えから、昭和五九年五月期については、自ら積極的に知人の徳持正雄や奥山英雄と相談し同人らの協力を得て、架空仕入、架空支払手数料の計上などの方法により同社の所得を秘匿し、同六一年五月期についても、前示高田馬場物件の取引に関し、堯典の進言に基づき同人らに指示して、取引にダミー会社を介在させ、更に架空値引(一億二〇〇〇万円)を計上するなどして、売上の一部を除外したほか、自ら知人の吉武弘中と相談しその協力を得て架空企画料(一億円)を計上し、また、上野物件に関しても、奥山英雄の協力を得て架空企画料等を計上するなど相当多岐に亘り巧妙な方法で同社の所得を秘匿したものであって、本件各犯行において主導的な役割を果たしたのは被告人であったと認められるから、その刑責は重いものといわなければならず、本件が被告人に対する刑の執行猶予を相当する事案とは考えられない。

他面、被告人は、事犯の発覚後自己の非を素直に認め、ニッセイ通商の法人税につき修正申告の上、本税だけでなく、延滞税、重加算税の納付をも完了していること、前示のとおり高田馬場物件に関する虚偽過少計上額(合計七億三一四七万円)のうち一億四三二七万円については、具体的認識を欠いていたものであること、逋脱による利益を個人的に使用した形跡はないこと、既に再犯防止のための措置がとられており、また、ある程度社会的制裁を受けたと見られること、被告人に前科・前歴がなく、現在健康状態が優れないこと、その他原判決後における一〇〇〇万円の贖罪寄付、被告人の服役がニッセイ通商やその下請企業の関係者、被告人の家族らに及ぼす影響等被告人のために酌むべき事情も少なくない。

以上諸般の事情を総合考察して、被告人に対しては、主文第二項の懲役刑をもって臨むこととする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 半谷恭一 裁判官 堀内信明 裁判官 新田誠志)

別紙(1)

修正損益計算書

〈省略〉

別紙(2)

脱税額計算書

〈省略〉

○ 控訴趣意書

被告人 楢林丘至

右の者に対する法人税法違反被告事件について、弁護人らは左記のとおり控訴趣意書を提出する

平成二年四月二日

弁護人 渡辺喜十郎

同 稲見友之

同 奥野善彦

同 小野正典

同 山中尚邦

東京高等裁判所第一刑事部 御中

原判決は、被告人に対して懲役二年の実刑を科したが、原判決の量刑は不当に重く破棄されなければならない。

一、本件行為の態様と原判決の量定

1 原判決は、量刑の理由のなかで、本件逋脱行為について、「事前不正行為の方法は相当多岐にわたり、巧妙である」と判示し、これは被告人にとって不利な情状であるとしている。

しかしながら、本件のうち、逋脱額の大半を占める高田馬場物件及び当初から転売目的で購入した上野物件に関する不正行為については、被告人は、単に税金を安くする方法を検討するよう尭典に指示しことがあるに過ぎず、それ以上に具体的な脱税工作の方法を指示したり、その相談に関与したものではなく、また脱税額をいくらにするかについてさえ被告人の与かり知らぬところで決められている。

原判決の判示するような「巧妙」な方法によって逋脱工作をなしたのは、被告人ではなく堀、四宮であり、さらには、堀らに脱税工作を持ちかけられて、自らその実行をした尭典であって、かかる工作が多岐にわたり、巧妙なものであったとしても、これをもって被告人に不利益な情状として考慮することは相当ではないのである。

すなわち、堀は、高田馬場物件について、以前から尭典に対して土地売却の際には、客付をさせてもらいたいと申入れており、その時点では、ニッセイ通商としては、なおビジネスホテルの建築を断念していたものではなく、売却を決めてはいなかったのである。

堀が高田馬場物件について売却を尭典に勧め始めたのは、昭和六〇年一月頃からであり、さらに同年六月頃には、ニッセイ通商が利益調整をしたいのであれば協力する旨申し入れているのであって(尭典六・三検面調書、原審公判廷供述)、ニッセイ通商がホテル計画を断念して土地売却を決定する以前から、「利益調整」すなわち税の逋脱が堀らによって画策されていたのである。もちろん、被告人は、堀が尭典にかかる働きかけをしていることなど、全く知らなかったのであるし、さらに堀が尭典に対し、丸洋興発を使って金をバックすることを勧めていたことも知らなかったのである。

さらに、買い主が都市コンサルタントからアーバンランドシステム研究所に変更されたことも、被告人が関与していたものではないし、ニッセイ通商から、丸洋興発に九億六、〇〇〇万円で売却し、さらに丸洋興発がアーバンランドシステム研究所に一四億七、一四七万円で転売して、丸洋興発がニッセイ通商に五億一、一四七万円を戻すこと、そのうち、堀に二、二〇〇万円が支払われ、丸洋興発には一億五、五〇〇万円が支払われたその配分についても、被告人の全く関与しないところで決められているのである。

上野物件についても、転売と利益隠しを当初から画策して、みずからの利益をあげようとしていたのは、堀であり、その話に直接乗ったのは、尭典である。要するに、被告人は、ほとんど主導的な役割を果たしていないのであって、もっぱら堀、四宮及びその話に乗った尭典の主導によってことが進められていったのである。

しかも、注目すべきことは、尭典は被告人の知らないところで、合計約二億円の資金を逋脱して確保していたことである。

尭典が実際に会社のためにその資金を確保していたのであるとすれば、これを被告人に知らせず秘匿する必要などないはずである。

そこには、尭典の極めて個人的な利害が色濃く絡んでいると言わざるをえないのである。尭典がかかる税の逋脱に走ったのが堀らの画策に載せられた面があるとしたも、結果的に尭典が会社とは別に利益を確保していたことからすれば、尭典が自らの利害に基づいて、本件脱税工作を推進したものであることは否定し得ないのである。

なるほど被告人はニッセイ通商の代表取締役社長であり、尭典は常務であることからすれば、本件逋脱の責任を被告人が負うのは当然のことではある。

しかしながら、右の逋脱の経緯を見れば、その中心的な役割を担ったのが被告人ではなく、堀、四宮及び尭典であったことは明らかであり、被告人の従属的役割は刑の量定にあたって充分に配慮されるべきであるのに、原判決にはかかる斟酌をしたことが窺われず、その結果、量刑を誤ったのである。

東京地裁昭和六一年・三・一九判例時報一二〇六-一三〇は、被告人が従属的立場にあったことを理由として、昭和五八年に相続税・所得税約二億五、〇〇〇万円を脱税した事案について執行猶予とした事例である。なお、この件は、いわゆる脱税請負人を利用したもので、相続税の逋脱率九七パーセント、所得税の逋脱率一〇〇パーセントと高率であり、さらには同和団体の勢威を背景の更生請求ならびに申告行為を行うなど、その態様は悪質であると判示されている。

右事案は、本件に比してその態様は悪質であることから考えれば、本件の量刑にあたって、被告人の従属的役割が十分に考慮されて然るべきである。

2 なお、小日向物件においては、逋脱の具体的方法は徳持がもたらしたものであり、被告人自ら積極的にその方法を指示したり、工作自体を自ら行ったものではない。

武蔵境物件では、被告人が持ちかけたものであるが、業務委託の方法は、本来奥山が武蔵境物件の隣接地買収で果たした役割に合致する名目であって、全く架空の形態を被告人が唸り出したわけではない。

高田馬場物件に関する桑和海運の件は、後に述べるとおり、本来吉武に企画料が支払われるべきもので、これを利用した逋脱であって、被告人が自ら考え出した工作方法というよりも、本来の支払を上乗せした方法というべきである。

その後のペナルティ計上の方法に関しても堀のアイデアにしたがった尭典常務の進言によるものであった(堀六・三検面四丁、丘至六・八検面三〇丁、尭典六・八検面六~九丁)。

上野物件に関しては、手数料支払の方法によるものは、もっぱら堀の作った筋書きにしたがったにすぎない。

したがって、本件不正行為の方法が多岐にわたったものであるとしても、それは被告人が意図してなしたものではなく、結果的にいくつかの方法が取られたにすぎないものであるうえ、本件での逋脱額の大半を占める高田馬場物件と上野物件に関する不正行為について、被告人は、その具体的行為の指示をしたことはなく、相談に関与したこともない、単に報告を受けたにとどまるものであるから、被告人が「巧妙」な方法を案出したものではなく、これを被告人に不利な情状とすることは、被告人に不当な責任を問うものというべきである。

二、本件の動機

1 被告人はニッセイ通商創業以来一五年間、筆舌に尽くし難い辛酸をなめながら、その事業の発展に地道な努力を積み重ねてきており、極めて真撃な姿勢で事業に取り組んできた。

もともと被告人は、旧平和相互銀行と取引のあった日誠総業株式会社の取締役をしていたものであるが、昭和五〇年頃、同社の事業の再編成のために企業分割の必要性が生じ、その際、被告人は都内における不動産開発、マンション建設販売事業を新たに開拓することとなり、ニッセイ通商をおこしたのである。

しかし、もともと日誠総業株式会社が旧平和相互銀行との取り決めにより、東京都内の不動産開発事業の取扱いを許されておらず、新たに被告人が都内で右事業を行うことは、その取り決めの趣旨に反するものであったため、被告人は旧平和相互銀行からの融資・援助が全く期待できない状態のなかから事業を開拓していかなければならなかった。

不動産関連事業、とりわけマンション建設販売事業は、何よりも長期かつ膨大な資金の確保が必要であるにもかかわらず、当初から資金調達に苦しまざるをえない状況から出発したため、高利金融や友人からの担保提供・保証を受けるなどによって、かろうじて資金を調達してきたが、時には、役員報酬の支払が遅延することなどもあり、会社としては赤字が続いていた。

ニッセイ通商の事業は、昭和五一年四月に「ロイヤル浅草橋」、同年五二年一一月に「シェトワ白金台」、同五三年一一月に「シェトワ大井」、同五五年五月に「シェトワ広尾」、同五六年五月に「シェトワ佃」、同五六年四月に神田小川ビル、同五八年四月に「シェトワ代々木」を完成させ、業績を重ねてきた。

昭和五八年四月には、当時三多摩地区にはなかったシティホテルとして京王八王子駅前ホテルを完成させ、地域社会の発展にも寄与している。

また昭和五九年一二月に完成させた「ザ・ホテル・サッポロ」は、当時誰も考え付かなかった、ホテルの部屋を一般投資家に分譲する方式を採用したものであって、卓抜した事業企画力も有している。

昭和六二年六月には、五反田駅近くのスラム化した五〇軒近くの飲食店街の地権者と粘り強い交渉を重ね、錯綜した権利関係を調節して取纏め、「ホテル・ロイヤルオーク」を建設して地権者からも絶賛される都市再開発を成し遂げている。

このような事業の積み重ねによって徐々に信用を高め、大成建設、三菱建設、鹿島建設、住友建設、日本リース、住友銀行、三井銀行等の一流企業からも、その経営能力、実務能力を評価されており、利益追求のみを目的とするのではなく、都市環境ので整備・向上を目指した事業展開を心がけ、堅実な企業として評価を固めつつあった。

平成元年一月三一日以降、被告人らの企画力が高く買われ、住友建設、東急不動産との共同事業による南箱根ダイヤランド内タワー建設計画に取り組んでいる。

右建設計画は黒川紀章建設設計事務所の設計により、ホテル、マンション、プールを含む延床面積一万五〇〇坪、地上四五階地下一階建の壮大なものであって、リゾートマンションとしては、日本最高層のものである。

2 ニッセイ通商は、右のように着実に事業を手がけてきたものであるが、会社は赤字が続き、今後の事業展開には、多大な不安を抱き続けていた。

ところが、昭和五九年の決算期に至って、初めて、土地売却による利益が生じていることが判明し、被告人は、にわかにその利益を隠して会社に留保し、会社の基盤を作って日常的に逼迫していた運転資金に充てようと思い立ったことから、本件犯行に走るに至った。

後にも述べるように、被告人は、本件で浮かせた利益を、個人的な使途に費消することは全くなく、すべて会社のために利用し、会社の将来のために蓄積していたものであって、私的利得を目的としたものではなかったのである。

なるほど、ニッセイ通商が被告人の経営する会社であり、会社の基盤作りは、結局のところ私企業の利益拡大を目的としたものにすぎないとの考え方もあり得るであろうし、かかる判示をする裁判例も存在する。

しかしながら、このような考え方は、比較的規模の小さい企業における法人税法違反においては、会社のために、と考えてなした行為は、およそすべてが個人的な私的な利益を目的としたものと見なされてしまうことになるのであって、甚だしく実情に反することとなろう。

既に述べたように、被告人は、極めて真撃な姿勢で、会社経営に取り組んできていたのであって、もとより、営利を求める点においては、他の一般企業とは変わりはないものの、市場の要請するところにできるだけ応え、利益追求をもっぱらにするのではなく、たとえ利益は薄くとも、社会的にも十分貢献しうる事業の実現を図ってきたのである。

被告人が、このような経営姿勢を保っていたが故に、幾多のマンション、ホテルんの建築を手がけながら、結局のところ赤字が続いていたとも言い得よう。

被告人は、自らの事業を単なる私的欲望の充足のために行ってきたのではなく、社会的な貢献をも図り、また、従業員の生活の安定のためにも、会社の基盤作りを目指したのである。したがって、被告人にとって、会社の利益は、そのまま自身の利益に直結すると言うが如き意識は毛頭なかったのであり、極めて純粋な気持ちで、会社の将来を思ったが故の行為と評価できるのである。

3 さらに注目すべきことは、被告人の健康状態である。被告人は、昭和五七年頃から糖尿病をわずらっており、同年六月頃には、糖尿病が悪化して眼底出血を起こし、糖尿病性網膜症になってしまった。手術を七~八回も繰返して、ようやく視力を回復したものの、五段階の症状でもっとも重い第五期まで(他方の目も三期まで)進行しており、医師からは、現在の医療水準では、八年後には失明するし、現在でも身体的、精神的ショックで、いつ失明してもおかしくない、と言われている状態にまで陥っている。また、糖尿病性白内障、腎症にも羅患しており、業務の遂行にいつまで耐えられるか、日常的な不安にさいなまされている状態にある(被告人の平成元年六月五日付検面調書四、五丁-以下、被告人六・五検面四、五丁と略す。被告人の原審公判廷供述。診断書)。

本件犯行も、被告人がかかる健康状態の中で、会社の基盤作りを、何とか自分の健康なうちに果たしておこうという焦りから生じたものなのである。

会社にとって、これまであげたことのない利益、また今後も予想し難いほどの利益を目前にして、法人税を逋脱してまでも会社の基盤を作っておこうと思うのも、無理からぬ極めて深刻な健康状態にあったことは、十分に斟酌すべきものである。

三、逋脱意図の稀薄性

1 利益発生の偶然性

本件は、初めから利益の発生を見越したうえで予め計画して逋脱を図ろうとしたものではない。

小日向物件は、昭和五七年一〇月にマンション用地として購入したものの、隣接地買収を果たせず、やむなく昭和五九年二月に売却したものであり、武蔵境物件は昭和五七年八月にマンションもしくはホテル建築のために購入したものの、駅ロータリーに面する隣接地の買収を果たせず、昭和五八年一一月に売却したものである。いずれも、当初から転売による利益追求を目的としたものではなく、土地高騰により、土地所有者が手放さなくなってしまったために、事業計画が挫折したものである。

その事情は、高田馬場物件に関しても同様であり、ビジネスホテル建築のために用地を取得したものの、早稲田通りに面する土地の買収ができなくなったために売却を余儀なくされたものであった。

したがって、本件犯行の端緒は、極めて偶然的なものであり、計画的な意図を有していたものではなかった。

2 積極的な逋脱意図の不存在

(一) ニッセイ通商並びに被告人は、過去において法人税や所得税の逋脱をしたことがなく、また、小日向、武蔵境物件売却の際にも、直ちに法人税の逋脱を企図したものではない。

売却した年度の決算期を迎えたときに、利益の生ずることを知って初めて企図したものであった。

それも、当初の経過は、被告人が鴨野常務に対して、「かなり利益が出てるんだなあ。税金が大変だなあ。税金を低く押さえる方法はないか」と持ちかけたのであり(鴨野五・三〇検面一一丁)、これに対して、鴨野が、通常の経理処理では税金を押さえられない、架空の経費を計上しない限り押さえられない、と述べた(鴨野五・三〇検面一一丁)ことに端を発する。

被告人は、さらに徳持にこの話を持ちかけるわけだが、被告人は、徳持を税理士と思っていたのであり、税務申告の専門家と考えて相談を持ちかけているのである。つまり、ここでも、なお積極的に意図を有していたのではなく、適法に節税できる方法をも求めていたのであり、徳持から具体的な方法を教えられて初めて、確定的な逋脱の意図を有するに至ったのである。

すなわち被告人の逋脱の意図は、もっぱら自らの積極的意図によって形成されたのはではなく、相談した相手から触発されたものであることを無視し得ないのである。

(二) これに続く武蔵境物件では、被告人が積極的に働きかけたことは否めない。しかし、ここでも、隣接地買収交渉を依頼していた奥山に対して、報酬を支払おうとした意図も重なりあっていたのであり、純粋に逋脱のみを目的としていたのではないことに注意するべきである。

(三) 逋脱額の最も大きい高田馬場物件に関しては、当初から明確な逋脱意図があったわけではない。

高田馬場物件では、会社にとって、これまでに経験したことがない、大きな利益が出ることが予想され、今後もこのような機会は訪れることもないとの思いが、正しい判断力を喪失せしめたものであった。

しかし、それも最初から脱税工作を働きかけたものではない。土地売却にあたって、何らかの方法で、すなわち適法な節税も含めて税金を安くする方法を検討するよう尭典常務に指示したものであって(被告人六・八検面三丁、尭典六・一検面一四丁)、積極的、明白な脱税意図を有していたものではない。

このケースでは、堀らの意図的な脱税工作の働き掛けが既に進んでおり、被告人はそのような状態を全く知ることなく、尭典常務に指示したのであって、その後の展開は、被告人の手を離れたところで進んでいたのである。

最終的は被告人に報告された時点では、具体的な脱税の方法や額も確定されており、大きな額の脱税が可能なとも思えなかった被告人は、鴨野、尭典にそのようなことができるのか、確認さえさせているのであって、ここでもなお、確定的な逋脱の意図を有していたものではない。

すなわち、被告人は、積極的な逋脱意図を有していなかったものの、尭典、鴨野の言に従い、堀らがしつらえてきた構図に乗ってしまったのである。

このような事態は、上野物件についても同様であり、そもそも、上野物件については、丘至が意図的に購入、売却、脱税を行ったものではなく、堀、四宮らの筋書きに載せられた尭典の行為を追認したとも言える態様である。

(四) 高田馬場物件のうち桑和海運に関わるものは、被告人のなしたものである。

しかし、この件については、当初、この土地に建築する予定のホテルの共同経営の話を進行させていた吉武に無断で土地を売却してしまったために、吉武からクレームが付けられていたこともあって、企画料としての支払の必要性があったのである。被告人の逋脱の意図は、この必要性に増幅された点を否定することができない。

実際、吉武への五、〇〇〇万円の支払は、本件逋脱額には計上されていないことからも、その必要性は明らかであり、逋脱の意図のみによって敢行したものではないのである。

その後のペナルティ計上を装った逋脱は、会社の資金繰りに窮した挙句のものであり、いわば利益隠しを重ねた報いでもあるが、やむにやまれぬ面のあったことにも注意すべきである。

これらの行為は、上野物件に関する奥山に以来した工作も含めて、当初から脱税の意図を有していたものではなく、決算期を迎えてなお利益の生ずることを知り、脱税工作に走ったものであって、一旦利益隠しの味を知った者の人間的な弱さの発露というべきである。

以上の経過を見ると、もとより、被告人の責任が否定されるべくもないことは明らかであるにしても、本件における被告人の逋脱意図はかなり稀薄なものということができるのである。

四、利益隠しの態様と使途

1 本件脱税によって得た利益は、いずれも被告人名義の預金、債権として、そのままのこしていたのであり、巧妙な利益隠しを工作したものではない。

小日向及び武蔵境物件に関して、一旦は西川裕美なる架空口座に入れたものもあるが、その金額は本件全体のなかでは少額であり、それについても後に被告人名義の口座に移されており、利益隠しに徹底するどころか、わざわざ発見されやすい措置すら取っている。

会社の資金として被告人が貸し付けたり、増資に用いられたものも含めて、いずれも税務調査により、極めて容易に判明するものばかりであり、利益隠しの態様は、およそ悪質というには程遠いものといわなければならず、様々な手口を弄して巧妙に利益を隠し、あたかも税務当局に挑戦するが如き、この種事案に往々にして見られる態度は微塵も窺えないのである。

また、税務当局及び捜査官の取調べにあたっても、経費算入その他の点において抵抗を示し、或は、何らかの方法によって罪証隠滅工作を図るケースもまま見られるが、被告人は、かかる行為には一切及ぶことなく、全面的に従って、反省悔悟の情をあらわにしている。

2 さらに、資金使途について、被告人が私的に費消したものが全くないことは注目すべきことである。

一般の脱税事犯では、殆ど例外なく、自己の私的欲望のための費消がなされていることからすると、稀有な例とさえ言えよう。法人税法違反事件で、会社のためになした行為であるとの主張はされるが、多かれ少なかれ、個人的費消がなされているものである。しかしながら、本件では、文字どおり、一銭たりといえども、被告人が私的に費消したものはなく、純粋に会社の為を思ってなしたことが良く窺われる。

小日向物件と武蔵境物件では逋脱したうち、増資資金として二、〇〇〇万円を会社に入れ、また被告人名義で銀行へ預金した合計六、三五〇万円は、すべて会社の借入金の担保として提供し、借入金は会社の運転資金に使われている。高田馬場物件で、丸洋興発から戻された七、二〇〇万円は、社長から会社への貸付金名目で、丸洋興発から入金後、直ちに会社の運転資金として使われている。また、被告人名義の銀行預金についても大半は経理担当の鴨野常務が管理していたのである。

被告人は、これからの銀行預金の金利にすら手をつけていないことに留意されたい。

ましてや、いつ失明するかもしれない健康状態のなかで、自己の個人欲望を実現しようとしていない態度は、禁欲的とすら言い得るほどである。

3 本件の逋脱額は大きく、また昭和五八年度の逋脱率が八四パーセント、昭和六〇年度の逋脱率が九〇パーセントにのぼっていることは、強く責められるべき点であろう。

しかし、本件で脱税に関与した者達に対して支払われた金額は総額三億四、二五〇万円にのぼり、逋脱額総額約六億一、五〇〇万円の五五パーセント以上なのである。

すなわち、小日向、武蔵境物件では、一、六五〇万円、高田馬場物件では、二億二、五〇〇万円、上野物件では、一億一〇〇万円が脱税関与者に支払われているのであり、そのうえ、尭典が自ら処理していた二億円の存在は、被告人の全く預かり知らないものであって、結局のところ被告人の手元に残ったものは、申告除外分一〇億八、八〇〇万円のうちの半分以下である約五億円にとどまるのである。

また、昭和六〇年度の逋脱額の高いのも、当時高騰によって多額の売却益が出たものであって、一概に、逋脱額の高さをもって、他の事例に比しても高額な脱税事案ということはできない。

五、修正申告と納税

被告人及び会社は、国税庁の調査に全面的に応じて修正申告をなし、本税、延滞税、過少申告加算税、重加算税、地方税のすべてを納付している。

それも法人税については、昭和六二年一二月までに、地方税については、昭和六三年五月までに納付済であって、いずれも本件起訴よりもはるかに早い時期に全額の納付を終えたもので、その点からも、被告人らの反省悔悟の念は顕著である。

納付にあたっては、これまで手付かずのまま蓄積されていた利益を充てたほか、約二億円の借入を起こして支払っている。もちろん、利益を供与した者達からの回収は行っていない。

六、社内体制の整備

本件発生までの経理体制は、公認会計士による税務申告がなされていたものの、経理内容を具体的にチェックすることもなく過ごされてきた。ここに本件発生の一因があったことも否めないところである。

そこで、会社の経理体制を一新し、小黒税理士の厳しく徹底した指導に従い、伝票類の一つ一つの番号をすべてチェックして帳簿類と照合する体制を確立し、今後不祥事の二度と発生しない体制を固めた。

もとより、被告人も、企業の存在発展のためには、適正な納税をすることこそが肝要であることを十分に自覚しているところであり、後にも述べるように、今回の行為によって、著しい信用失墜、借入金の増大による会社経営の圧迫等の事情から、かかる愚かな行為を二度と犯さないよう決意しているところである。

また、被告人の事業上の育ての親とも言うべき次郎丸氏に、名目的な取締役会長ではなく、実質的にも経営状況を監督してもらう体制を作り、その面でも万全を期している。

七、十分な社会的制裁

ニッセイ通商は、被告人の営業力と信用によって、三菱商事、住友建設、東急不動産、大成建設、日本リース等大手一流企業との業務提携、取引を行なってきた。

しかしながら、本件は新聞報道されたことによって、取引先の知るところとなり、被告人ならびに会社の信用は、一挙に失墜するに至った。

大手一流企業との取引があったがために、かえってその影響は一層大きく、会社のみならず、取引先有力企業自体の信用をも毀損することとなり、これまで長年努力して築き上げてきたものを一瞬にして失うこととなった。

ニッセイ通商のように、企業規模としては小さいものの、単なる不動産取引業者ではなく、かなり大きな事業展開を図っている会社においては、信用を失うことが致命的である。

従来のメインバンクであった日本リースは、一旦、会社に対する新規融資を停止し、メインバンクが住友銀行に変わるという事態になった。

またそのために鶯谷で計画していた高層ビルの建築事業も中止に追い込まれた。他の金融期間との取引も、事実上できない状態にも陥り、資金繰りも悪化することにもなった。

納税資金や運転資金の調達のために借入金も増大している状況にある。

被告人と会社が、これまでの信用を回復するには、長い期間を要するであろうし、今後被告人らが自ら示す姿勢にもかかっているといえよう。

したがって、自らを律しなければ今後の業務展開はあり得ないわけで、かかる意味においても、被告人も会社も既に十分な社会的制裁を受けているのである。

八、被告人の反省と再犯可能性の不存在

1 被告人が、本件行為を深く恥じ、強く反省していることは、これまで述べたところからも、そして何よりも被告人自身の原審公判廷における言動からも明らかなところである。

妻信は、これまで頭を下げたことのなかった被告人が、今回のことで初めて頭を下げて詫びたことを明らかにした。

長女はショックのあまり泣き出してしまい、父親が受けなければならない刑罰が、結婚にも影響することは避けられない。長男は高校受験を控えて、精神的に大きく動揺していることが窺われる。

何よりも、教育者として高い誇りを持って人生を送り、子供達を厳しく育ててきた父親の受けた衝撃には、計り知れないものがある。

被告人は、高齢の父をこのようなかたちで裏切ってしまったことを、今、悔やんでも悔やみ切れない思いでいる。

2 ニッセイ通商設立以来、苦労して積み重ねてきた信用を失い、また一から出直さなければえならない事態を自ら招いた本件行為の愚かさを、被告人は誰よりも深く自覚している。

また先に述べたように、多くの企業に多大な迷惑をかけたこと、本来の事業のあり方を忘れ、恥ずべき行為に走ったことによって、かえって会社の基盤を弱めてしまったことを、骨の髄まで知らされたのである。

しかし、住友建設の安枝氏や日本リースの井口代表取締役ならびに帆足支店長らは、本件の如き不祥事を起こしてもなお、被告人を高く評価する。

これも、被告人が本来誠実な人柄であり、真撃な姿勢で仕事に取り組んできたからである。

それだけに、かかる経験を経た被告人が二度とこのような行為に走ることのないことは誠に明らかである。

九、執行猶予の相当性

1 以上、述べたとおり、本件における被告人の逋脱意図の希薄性、逋脱の工作への関与の程度の低さ、非計画性、隠滅工作の不存在、使途の清廉性、経理体制の整備、社会的制裁、前科前歴のないこと、反省悔悟の情を勘案すれば、反社会性、反道徳性の強い事案とは到底言えないのである。

近年、脱税事犯に対する量刑が厳しくなっているが、実刑に処せられた事例は、いずれも本件に比して、相当程度悪質な事案ばかりであって、それらのケースに比しても、本件は執行猶予が相当である。

すなわち、

〈1〉 一年六月の実刑に処した東京地裁五五・三・一〇判決(判例時報九六九-一三)は、昭和五〇年当時で、逋脱所得一二億五、〇〇〇万円、逋脱税額四億五、〇〇〇万円、逋脱率九九・六パーセントで特殊浴場の経営者であり、逋脱の反復、罪証隠滅等の態様において甚だ悪質なものであった。

〈2〉 昭和五二、五三年に計三億二、五〇〇万円の脱税をした医師に対しても懲役一年六月の実刑が言い渡されているが(東京地裁五六・一二・一八、判例タイムズ四六四-一八〇)、逋脱率九九パーセントにのぼり、一貫した脱税意図で継続的な売上除外を行ない、実際には昭和四七年頃から売上除外をしているなど、納税意識が甚だ希薄な事例であった。

〈3〉 昭和五三年から五五年までの三年間で総額一四億三、〇〇〇万円の所得税を脱税したサラ金業者が懲役二年の実刑を言い渡されているが(京都地裁五八・八・三判例時報一一〇四-一五九)、逋脱率も九八・五パーセントである。

〈4〉 昭和五二年に法人税一億四、〇〇〇万円を逋脱して懲役一年に処せられた例は(東京地裁五八・二・二八、判例時報一〇九〇-一八三)、被告人自身が架空手数料の計上方法を細かく指示し、相当以前から不正行為を継続していたうえ、同種事犯の前科があって、執行猶予期間中に更に脱税に及んだという事案である。

これらの事案は、いずれも本件の動機、行為態様、納税意識、前科等の諸事情において、格段に悪質というべきであるし、逋脱額の点を考えても、右各事件の脱税時期と本件発生の時期との物価の変動からすれば、むしろ、本件逋脱額のほうが、かえって低いとさえ言い得るのである。とりわけ、本件のような不動産取引の中で生じた事例は、不動産の高騰によって、かなりの高額な利益が生じ、逋脱額も高くなる傾向が否定できず、逋脱額が高いからといって、直ちに悪質とはいい難いことを見逃してはならない。

〈5〉 不動産売買等を目的とする会社が昭和五七、五八年に総額五億四、〇〇〇万円の脱税をした事案につき、東京地裁六二・一二・一五(判例時報一二七二-一五四)は、懲役一年八月の実刑を科した。

しかし、このケースは、一人の被告人が多数の会社をグループ企業として支配したうえ、各会社において、多種多様で巧妙かつ計画的な脱税行為を反復累行した事案であり、しかも、従前から脱税行為が継続し、税務署の指摘を受けながらも引続き脱税工作を敢行したという、極めて悪質な事案であって、本件とは行為態様、納税意識等の諸事情において、比較すべくもないものというべきである。

〈6〉 商品先物業者が、昭和五〇年に一億七、〇〇〇万円の所得税を免れた事例で、架空名義で預金し、さらに清算益金を五人で分配したように仮装して所得を秘匿するなどしていたが、大阪高裁五七・一二・一六(判例時報一〇九四-一五〇)は、懲役一年二月執行猶予三年を言い渡した。

商品先物という業種、昭和五〇年の一億七、〇〇〇万円の価値、特に当時と昭和五八、五九年の不動産の価格を対比し、さらに隠匿工作の態様をも考慮すると、本件被告人の事案が、まさしく執行猶予に相当するものであることがおのずと明らかになるものといい得るのである。

〈7〉 給与所得者が株の売却益を隠し、昭和六一年分の所得税五億五、〇〇〇万円を逋脱した事案で、神戸地裁六三・六・二七(判例時報一二八二-一六九)は、懲役二年執行猶予三年に処した。

右事案は、これまで給与所得者として生活してきた者が、多数の株式を高額に売却することができたため、初めて多額の利得を得、それを逋脱したものであるが、株式売却益を全部除外し、逋脱率は一〇〇パーセントを越える(源泉所得税の還付を受けているため)ものである。

個人的利得のみを目的としている点、逋脱率が高く、還付さえ受けている点などを考えると、右判決の量刑基準からすれば、被告人を執行猶予とすることには何の疑問もないはずである。

〈8〉 三年間にわたって、有価証券の売買を多数の名義を用いて行い、合計一一億三、七〇〇万円の所得をあげながら、有価証券の売買所得の全てを申告せず、七億一、六五六万円の所得税を逋脱した事案で、東京地裁刑事一二五部は、平成元年一二月二五日懲役三年、執行猶予四年の判決を言渡している。

右事案は、本件の逋脱額よりも大きく、逋脱率も九七パーセントという高率であるのにもかかわらず執行猶予が付された事案であり、本件量刑と対比すると本件の刑が極めて重いものであることが明らかである。

一〇、原判決後の状況

原判決後、ニッセイ通商は、直ちに罰金を払う用意が整わなかったために、一旦は控訴したが、平成元年三月二〇日に控訴申立を取下げて確定し、近く罰金全額を納付する予定である。

また、これまで、会社が起訴されていたことから、他に代表者を譲ることはかえって迷惑をかけることになるため被告人自ら代表者の地位にとどまっていたが、会社の刑も確定し、罰金の納付が完了した時点で、被告人は代表取締役を辞任し、今回の事件についての責任を内外に明らかにすることとしている。

さらに、被告人が有するニッセイ通商の株式の全てを被告人の父に譲渡し、会社そのものを既に手放した。

また、既に述べたように、被告人は失明の危機にあるが、本件の如き行為に走ったことに鑑み、被告人自身がアイバンクに寄付をすることとし、ささやかながら、罪の償いをすることとした。

もっとも、被告人は糖尿病性網膜症、白内障であって、これはアイバンクによっても救済されることのない病気であるから、被告人のなす寄付は被告人の病気には何の効果もないものではある。

本件脱税の責任は決して軽いものではないが、被告人は真撃な姿勢で事業に取り組んできたものであり、今回の事件によって受けた社会的制裁は限りなく大きく、被告人自身深く反省して今後二度とこのようなことを起こさないよう自戒の念を強めて日々を送っているところである。

これまでに指摘した諸般の事情に鑑みれば、被告人を実刑に処することは、先に掲げた事案の刑に比しても極めて重い。また、尭典が本件において果たした役割はかなり大きく、逋脱額との関係を見ても、尭典は、極めて大きな金額の逋脱に被告人よりも深く関与しているものであって、尭典の量刑と対比しても、被告人に対する量刑は不当に重く、原判決は破棄されるべきである。

○ 控訴趣意書

被告人 楢林丘至

右の者に対する法人税法違反被告事件の控訴の趣意は左記のとおりである。

平成二年四月二日

右弁護人 渡部喜十郎

同 塩川治郎

東京高等裁判所第一刑事部 御中

第一 控訴の趣旨

原判決は、被告人を懲役二年の実刑に処したが、後記第二において詳述するとおり、本件は、刑の執行を猶予するのが相当の事案であり、原判決には量刑不当の誤りがあるので、その破棄を求める。

第二 控訴の理由

金六億一、五三九万二、六〇〇円という逋脱額からするならば、被告人の刑事責任は決して軽いものとはいえないが、他方、被告人には以下に述べるとおりの有利な情状があり、これらの情状を総合して判断するならば、本件の量刑としては、刑の執行を猶予するのが相当である。

一、本件の態様

1、脱税事件については、これまでに多くの実刑判決が出されてきているが、それらの事案に共通している事柄は、〈1〉私利私欲のために脱税工作がなされていること、〈2〉被告自身が積極的に脱税工作に関与していること、〈3〉脱税工作が計画的且つ継続的になされていること、脱税工作が巧妙であり、罪証隠匿等もなされていること、等の事情であり、いずれも犯罪態様が極めて悪質な事案である。

2、まず、本件の動機であるが、私利私欲のために脱税をしようとしたのではなく、全て会社のために蓄積利用しようとしたものである。

ニッセイ通商は、昭和五〇年に被告人が経営権を取得して以来、被告人の血のにじむような努力により着実に業績を伸ばし、社会的信用を得るようになってきたものであるが、経理状態としては赤字が続き、経営基盤そのものは極めて不安定な状態にあった。

一方、被告人は、昭和五七年頃から糖尿病をわずらい、同年六月頃には眼底出血を起こして糖尿病性網膜症となり、手術を七~八回繰り返して漸く視力を回復したものの、依然として症状は重く、いつ失明してもおかしくない状態にある。そのほか、被告人は糖尿病性白内障及び腎症にも罹患しており、被告人としては、会社の将来について常に不安を抱いていた。

このような状況のなか、昭和五九年に、マンション用地として買収していた小日向物件及び武蔵境物件を、隣地買収ができないために手放さざるを得なくなった際、思わぬ譲渡利益が発生することとなり、被告人は、できればこの利益を留保して、会社の経営基盤を何とか安定させたいと考えたのである。この事情は、昭和六一年の高田馬場物件等の場合も、全く同様である。

そして、現実の問題としても、留保された資金は全て会社のため利用・蓄積されており、被告人が個人的に費消した金は一銭もないのである。この事は、本件が被告人個人の私利私欲のため犯されたものではないことを端的に示しているものである。

3、このようなため、脱税工作に対する被告人の関与の仕方というものも終始受動的なものであり、当初は部下及び知人らに何とか税金を低く抑える方法はないものかと相談したところが、徳持、堀、四宮といった者らがリベート欲しさにか、積極的に脱税工作をリードし、被告人は終始受け身的な立場で関与していたにすぎないのである。

4、従って、脱税工作の内容が極めて幼稚であるにも拘らず、被告人自身は何等頓着せず、脱税によって留保した金の殆どは被告人名義の預金又は債権としてそのまま残されているなどしており、犯罪態様としては、「計画的犯行」とか「巧妙な脱税」などということには凡そ程遠い実情にあったものである。

5、このため、本件は税務調査によって、いとも簡単に見破られてしまい、また被告人としても脱税に対する積極的な意思又は執着心は全くなかったので、罪証隠匿は勿論、無駄な抵抗等をすることも一切なく、全面的に本件脱税行為を認めているのである。

二、被告人の反省悔悟

1、前項で述べた本件の実情にも現れているとおり、本件犯行当時の被告人の脱税行為に対する認識にはかなり甘いものがあったことは確かであるが、国税当局による摘発、本件起訴等により、父、妻、子供達の家族が計り知れない精神的ショックを受け、また会社も、これまで苦労して積み重ねてきた信用を一挙に失うなどの事態に立ち至り、被告人としても、自らの認識の甘さ、愚かさを骨身にしみて味わったのである。

2、被告人には、自らのしたことは心の底から反省し、二度と再びこのような犯罪を繰り返すまいと固く決意しているものであるが、被告人のこの決意は、妻に対して頭を下げて詫びたこと及び社内の経理体制を刷新したことなどに端的に示されているのである。

三、再犯の可能性

1、住友建設の安枝氏及び日本リースの井口代表取締役・帆足支店長等が証言しているとおり、本来被告人は真面目な性格であり、仕事に対する姿勢も極めて真撃であり、それ故にこそニッセイ通商の業績をここまで伸ばすことができたものである。

2、従って、被告が再び同種犯罪を犯すようなことはあり得ないものと考えられるが、なお念の為、会社にあっては育ての親とも言うべき次郎丸氏が、また家庭にあっては厳格な教育者であった父が、それぞれ被告人を監督する体制を敷いており、再犯の恐れは皆無といってよい状態にある。

四、その他

1、もとより当然のことではあるが、被告人は、会社と共に国税庁の調査に応じて修正申告をし、本税、延滞税、過少申告加算、重加算税、地方税の全額を納付し得ているものである。

2、右納付に当っては、利益を供与した者からの回収金は一切なく、約二億円の借入を起こして納付しているのであるが、結局被告人らは、社会的には信用を失墜し、経済的にも却って大きな打撃を破ることとなり、ある意味においては、既に相当の制裁を受けているということができるのである。

3、また、被告人には、前科・前歴が一切なく、正式な裁判をうけるのは今回が初めてであるが、この被告人に対し、社会の内において更正する機会を全く与えないというのは、あまりに酷というべきである。

4、さらに、既に述べたとおり、ニッセイ通商は被告人が創業した会社であり、被告人の個人的な才能、力量によって今日まで業績を伸ばしてきたのである。本件により、一時信用を失墜し、事業計画が頓挫するようなこともあったが、現在は日本リースや次郎丸氏などの理解と協力を得て、南箱根ダイヤランドにおける大規模リゾート開発計画に事業参加し、漸く再生の緒についたばかりである。このようなときに、被告人が実刑に処せられれば、ニッセイ通商は事業展開ができなくなり、倒産の危機に瀕することとなり、従業員のみならず、共同事業者に対しても多大な損害をかけることになりかねない状況にある。

五、結語

脱税事犯の量刑においては、脱税金額を目安にする傾向が強いが、単に脱税金額のみで一定の線引きし、一定金額以上は原則実刑というような量刑判断をするのであれば、これはあまりに硬直的なものと言わざるを得ない。言うまでもなく、刑罰には、一般予防とともに、被告人の更生を計るという特別予防の意味があるのであり、本件の如く、事案がそれほど悪質ではなく、再犯の恐れもなく、社会内において被告人が真に更正できる蓋然性が高い場合には、原則的には執行猶予を付すべきである。確かに、本件の脱税金額だけに着目するならば、実刑という結論の方がとり易いのかも知れないが、もう一歩を突っ込んで、前述した諸事情を十分考慮し、被告人の真の更生を計るならば、本件は正に執行猶予を付すべき事案というべきである。

以上

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